わたしは、一人っ子です。結婚し両親とは離れ離れになりました。
もう二人とも今では80歳を優に越しています。
特に大きな病気もなく、足腰に問題が無いため、施設で暮らすですとか、
病院暮らしではありません。ただある時から父親が痴呆になりかけており、
母親が心配でたまに電話をかけてきました。
その話を聞くと私も当然心配になるのですが、
わたしは神様を信じ信仰者として歩んでいますので、
神様はわたしが信仰生活が出来なくなるようなことは絶対にしないと信じました。
実際、聖書や御言葉を理解すると分かるのですが、
神様は信仰者の家族は祝福してくださるのです。
ですので、父親がこれ以上痴呆が進むことは無いと思っていました。
そのあと、一切母親から父親に対しての不安を口にすることがなくなり、
心配の電話も一切無くなりましたので、今でも普通に信仰生活が出来ています。
今はとても生きることに大変な時代ですが、
神様はどこまでも祝福してくださっているので
何も不自由なく暮らせています。本当に感謝してもしきれません。
神社仏閣は無神論です。どんなに祈っても何一つ救ってくれません。
一度切りの人生です、この世でもあの世でも誰もが神様から祝福された生を生きられる
ことを心からお祈り致します。
RAPT有料記事279(2018年5月26日)この地上で地獄のような生を生きた人は、死んだ後も霊界で地獄のような生を生き、この地上で天国のような生を生きた人は、死んだ後も霊界で天国のような生を生きる。
~無力な偶像~
偶像を形づくる者は皆、無力で彼らが慕うものも役には立たない。
彼ら自身が証人だ。
見ることも、知ることもなく、恥を受ける。
無力な神を造り役に立たない偶像を鋳る者はすべてその仲間と共に恥を受ける。
職人も皆、人間にすぎず皆集まって立ち、恐れ、恥を受ける。
鉄工は金槌と炭火を使って仕事をする。槌でたたいて形を造り、強い腕を振るって働くが
飢えれば力も減り、水を飲まなければ疲れる。
木工は寸法を測り、石筆で図を描き人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り神殿に置く。
彼は林の中で力を尽くし樅を切り、柏や樫の木を選びまた、樅の木を植え、雨が育てるの
を待つ。木は薪になるもの。
人はその一部を取って体を温め一部を燃やしてパンを焼きその木で神を造ってそれにひれ
伏し木像に仕立ててそれを拝むのか。
また、木材の半分を燃やして火にし 肉を食べようとしてその半分の上であぶり
食べ飽きて身が温まると「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。
残りの木で神を、自分のための偶像を造りひれ伏して拝み、祈って言う。
「お救いください、あなたはわたしの神」と。
彼らは悟ることもなく、理解することもない。目はふさがれていて、目覚めることはない。
反省することもなく、知識も英知もなく「わたしは半分燃やして火にしその炭火でパンを焼き、
肉をあぶって食べた。残りの木で忌むべきものを造ったり、木の切れ端を拝んだりできようか」
とは言わない。彼は灰を食らい惑わされた心は、その道を誤らせる。
彼は自分の魂を救うことができず「わたしの右の手にあるのは偽りではないか」とすら言わない。
旧約聖書 イザヤ書 44.9~20